竹田恒泰氏との関係
まんざらでもなさそうですね。
華原朋美さんの”オノロケ”とも取れる発言が東京・表参道ヒルズでのイベントで聞かれました。
テレビでは、過激な発言で世間を賑わすこともある竹田恒泰氏。
以前より華原朋美さんへは”ぞっこん”の惚れ込みのご様子。
交際は認めるものの、お付き合いは否定?のような発言の裏には
華原朋美さんの仕事へのポリシーがあるようです。
とにかく1年は仕事へ全力投球。
お世話になったり、迷惑を掛けたりした皆さんに恩返しをするつもりで頑張りたい、との気持ちが強いようですね。
「いつまでも待つ」という竹田氏。
今後の具体的な話(結婚?)については年をあけた来年に話し合うと約束をしているようです。
◆竹田恒泰氏について
もう既にご存知かと思いますが、明治天皇の玄孫(やしゃご)で伏見宮家より
分かれた北白川宮家の分家にあたる竹田宮家で旧皇族にあたる家系のご子息です。
竹田恒泰(たけだ つねやす)38歳:1975年??月??日生まれ/誕生日は非公開
(氏名と生年月日が共に知られると呪いを掛けられると思っている)
JOC・竹田恒和会長(66)の長男
慶應義塾大学講師(憲法学):主要な作品は『旧皇族が語る天皇の日本史』、
『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』、『日本人はなぜ日本のことを知らないのか』
主な受賞歴:山本七平賞
近年は、「たかじんのそこまで言って委員会」を始めコメンテーターとしての出演。
バラエティ、報道メディアにも多数登場している。
週に一度(特番を除く)新聞を読む「ニコ生配信」も大変話題になっていますね。
◆ことの経緯
・二人は今年7月、テレビ番組の共演をきっかけに急接近したという。
以前より、並々ならぬ思いを寄せている華原さんへ竹田氏は猛アプローチしたとの話。
・数回のデートを経て、今年9月には華原さんの所属事務所スタッフにも
紹介したといいます。
・しかし薬物依存などの低迷から、ようやく昨年12月に復帰を果たしたばかりの
華原さんは新しい恋に慎重。
・竹田恒泰氏はFAX等で「好意を抱いていることや、
何度か会ってきたことは(「女性自身」の)記事のとおりです」と認める。
・華原さんも「本当にすてきな方。すごく大事な方だと思っています」とコメントし、
ペアでスニーカーを買ったり、とてもゆかりがあるバッグを贈られたりしたことを認めました。
◆華原朋美(かはら ともみ)プロファイル
愛称は「朋ちゃん」
生年月日: 1974年8月17日 (39歳)
本名、下河原 朋美
歌手、タレント、ミュージカル女優
身長: 156 cm 血液型/A型
出身地:東京都江東区 千葉県浦安育ち
アルバム: storytelling
~壮絶な半生~
・年商30億円以上の会社会長の裕福な家庭で育つ。
高校3年:スカウトにより芸能界入り、「三浦彩香(みうら あやか)」の芸名で
CanCanやViViのモデルなど務める。
1994年:芸名を
「遠峯 ありさ(とおみね ありさ)」
と改名。
グラビア活動などをするも、今一つぱっとしませんでした。
1995年:小室哲哉と出会う。華原の歌声を聴いた小室は
涙を流して感動し「涙腺を刺激する歌声」と称した。
華原は役者志望から歌手へ転身。
交際ののち同棲。
1998年:互いの浮気騒動などから破局。
華原さんは精神的に落ち込み、安定剤多用の中毒で倒れ救急車で搬送。
2007年:ドタキャンの連続で事務所を解雇。
2009年:精神安定剤の大量服用で再度緊急搬送。
見かねた家族が閉鎖病院に強制入院させる。
(半裸で六本木を徘徊や、治療中は全裸で廊下を
疾走するなど深刻な状況)
いっとき、「急死説」なるデマが流れた。
退院後:ボランティア活動をしている父のもとへ移住、活動へ参加。
現地の孤児院で子供の世話などをする。
心境面での変化や人間性も次第に回復。
歌手復帰を目指し猛トレーニングを開始。
★帰国後はボイストレーニングに通い、ジムでは54キロ→43キロまで減量。
2012年:努力が認められ、「プロダクション尾木」と再契約。
そして「2012 FNS歌謡祭」で「I’m proud」を熱唱し7年ぶり復帰を果たしました。
いっとき、「急死説」なるデマまで流れた華原さん。
特別な思いでこのライブを見守ったファンも多かったのではないでしょうか。
新しい恋に慎重になる心境がよく理解できます。それだけに、今度こそ幸せになってほしいですね
「朋ちゃん」
心より願います。